深み

鈴木です。
ダサいについて少し。
僕が服装に意識しはじめたのは確か中3ぐらいだったと思うんですが
意識って言っても良くわからず、ファッション誌を眺める、でも分からず。
その頃ですかね、
オサレ〜な友達が「あいつ、ダセ〜」って言った一言に、センスなし!!の烙印的なセリフに感じた
のを覚えてます。(今思うに、単にそいつとお前とは違うって言えますが)
当時は、1次元でしたし、異性も意識してか
出来れば、おしゃれさん側でいたくて
言われたくないセリフに思えました。


それとは、ちょっと違った
角度を変えた ”深み” みたいな部分なんですかね。


今だに尊敬の念を持つ、高校のカリスマ先輩方から学んだ「ダサカッコイイ」。
ダサいのにカッコイイ??

今でもサンプル作りに煮詰まると、泣きついて助言を仰ぐ、その先輩方。
たまにですが、サンプルを見るやいなや、「うぁ、ダッセ〜」「これ、ダッセ〜」「ダッセ〜」「・・・。」
あまり連発されると不安にもなりますが・・。
このセリフに「いいね〜。」の称号を頂いた気になる。
カッコイイだけじゃない、どことなく人間味のある”ハズし”なんですかね。
それらがデザインに乗っかったって、嬉しくなる。
スパイス的効果を持つ「ダサさ」のカッコ良さ。
選ぶ人のセンス的な部分、スタイリスト的センスだとは思いますが。
作り手の自分としては、気になる要素の1つ。


僕が服を作る上で、ど真ん中にあるのは「着る人次第」って考え
一見、他力本願のようで、本質の部分。
その人の持つ「人となり」や「佇まい」と言った個性。
感性で選んでもらう、面持ちのあるモノ、哀愁あるモノを作りたいと考えた時に
今回、考える「ダサさ」はバランス力は要りますが
たまにデザインに乗ると、着る人のスパイスとしては、素敵な構成要素かと。
ただ作り手が、狙ってやっちゃうと、ちと違う気もするし
その「ダサさ」も個々に違う。
結果、よくわからなくなってきたので
とりあえず自分は、ただ一生懸命作って、たまたま選ぶ人が「ダサさ」を嗅ぎとって貰えれば
それも、嬉し。



いいもん作るぞって
一生懸命作って。
見せて。
「ダサい。」って言われて。
「よしっ!」って思う。
そこだけとれば、変な感じもする。